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図説 Key病のメカニズム はてなブックマーク - 図説 Key病のメカニズム

2008/08/02
Key・麻枝准考察 0
 Key作品の風物詩、世界観の根幹をなす「不思議病」のメカニズムを視覚的にわかりやすく説明してみようという試み。
 以前書いた記事の補足的な話なのでまずこっちを読んでくれぃ。
死に至る病、不思議病
Keyゲー考察・解説 約束と絆と思い出と


 私はKeyの世界観をこのようにイメージしている。空気もオゾン層も植物も建物の屋根もない、剥き出しの地表に人が立っている、そんなイメージ。あまりにも薄っぺらい世界観、極端な情報量の少なさが、大気の薄さに例えられるかもしれない。

 われわれの世界にはさまざまな情報が溢れている。「私の生まれはどこで、家族は誰々で、何々という学校の某科の何年生である」とか、「現在は某県某市某町の某アパート何号室に住んでいる」とか、「趣味は何で、好きな芸能人は誰で、ひいきのブランドは何である」といった、自身の現在地、アイデンティティに関わる情報だ。


 この絶えず降り注いでいる紫色の光線は……自我の劣化? 年月の経過? ポストモダン? 都市化? 現代病? 人を社会的な死、精神的な死に至らしめるもの。Keyの箱庭世界では特に顕著なもの。多分に観念的なものだけど、ここでは単純に強力な紫外線みたいなものとして扱う。

 われわれの世界では、種々雑多な情報がわれわれの自我を守ってくれている。日常生活を送っていて、社会的な死・精神的な死の脅威を感じることはほとんどない。

 自我を守ってくれるものが何もない薄っぺらなKeyの世界は、オゾン層も大気も無く、紫外線が直に降り注いでいるようなものだ。死人がコロコロでるのもむべなるかな。

 Keyの過酷な箱庭世界で生き残る術はただ一つ、他者を認識して自我を確立させることである。「私は長森瑞佳の恋人である」「私は棗恭介の友達である」「私は神尾晴子の娘である」といったアイデンティティを死にもの狂いで獲得し、あるいは獲得しなおさなければならない。形骸化した関係には自我の劣化を食い止める力はない。

 この青いバリアーのようなものが「自我」。他者を知覚し、他者に知覚され、他者との繋がりを求めることによって生まれる、ATフィールドのような力場だ。Keyの世界で彼ら彼女らを精神の死から守ってくれる唯一のものである。「繰り返す日常の中にある変わらないもの」「いつまでもそこにある見慣れた風景」なんてのはへのつっぱりにもならないので注意されたし。誰とも繋がっていない人間、誰からも知覚されず、あるいは誰も知覚できない人間――例えば不思議病の症状が進んだ折原浩平や沢渡真琴――は、かの狂気的な箱庭世界では生きていけないのだ。

 たとえわれわれの世界でも、完全に誰からも知覚されず、誰も知覚できない人間は、生きていると言えるのだろうか? 死んでいるのと同じことではないだろうか?

 さてようやく本題に入れる。鍵の不思議病がなぜ死に直結するのかといえば、そのどれもが「他者との繋がり」を破壊するものだからである。自我とは「約束(未来における人との繋がり)」と「絆(現在の人との繋がり)」と「思い出(過去における人との繋がり)」であることは以前の記事で述べた。不思議病に記憶喪失は付きものだが、それは単なる病気の一症状ではなく、それが故に自我が弱まり精神的な死の脅威にさらされたのである。




 Keyの様式美の一つである「追体験」(例えば神尾親子のプレゼント、理樹・鈴とリトルバスターズの対決)が不思議病の治療に多少なりとも効果を上げるのは、過去における人との繋がりである「思い出」に訴えかけ、自我(このバリアーみたいなの)を回復させるからである。

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2020/12/27
加筆修正
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toppoi
Author: toppoi.
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