宮永照のお菓子好き 家族麻雀の影響説 


「高校生一万人の頂点」宮永照のお菓子に目がないところは、これまでも随所で(特に『咲日和』でぽんこつ空気を振りまきつつ)アピールされてきました。そして『咲-Saki-』本編でも、最新話でそのお菓子好きっぷりがこれ以上ないほどクローズアップされました。サブタイトルもそのまんま「菓子」という徹底ぶりです。
「売店でお菓子買ってきた」
(『阿知賀編』第13局「再会」)
「とにもかくにもお菓子がないと…」
お か し
(『咲日和』白糸台の巻1)
「これか? これは菓子の差し入れだ」
「!」
「ほしいのか?」
「食べるか?」
「!!」
(第170局「菓子」)
「麻雀部だと菓子やパンケーキが毎日食べられるぞ」
「!!」
「あとはそうだなぁ………
レギュラーになれば特待生と同じで寮がタダになるとか…」
「パンケーキ…」
(第170局「菓子」)
ところでこのやりとり、菫に特待生の設定を説明させつつ、照に「パンケーキ…」でぶった切らせることで、彼女がどこかずれているのと超弩級のお菓子フリークであることも同時に表現していて、もの凄く脚本力が高いです。
閑話休題。小林立は「設定! 付けずにはいられない!」というレベルの設定厨で、各キャラクターに付与された設定は思いも寄らぬ意味を持っていることがままあります(参考資料)。名前しかり、誕生日しかり、趣味嗜好しかり。信徒らはその意味不明な設定に隠されたサブテキストを探るべく、夜を日に継いで研究を重ねています。私は今回、照のお菓子好きにも、ここまでクローズアップされるからには何かしら意味があるのではないかと思い、いろいろ記憶をほじくり返していました。するとふと頭に浮かんできたのが、1巻の第1局というとんでもない序盤の会話でした。
「家族麻雀で
お年玉を巻き上げられないように負けないことを覚えて
勝っても怒られたから勝たないことを覚えました」
(第1局「出会い」)
咲さんがなぜプラマイゼロを目指すような打ち方をするのか、和に語るシーン。
『咲-Saki-』をスピンオフから知った人や、原作古典派の人はひょっとすると知らないかもしれませんが、1期アニメの該当シーンでは会話の内容が大きく変更されています。
「私 ずっと家族麻雀で
負けるとお菓子がもらえなくて
でも 勝ちすぎても怒られてたから
気がつくと こんな風に打つようになってました」
アニメ『咲-Saki-』1話
強調は引用者によります。子どもが賭け事に参加する描写がまずかったのか、そもそも賭博行為が放送コード的に駄目だったのか、媒体の違いに関する資料としてもおもしろい箇所です。
さて、ここからまた話がこじつけ臭くなってきます。まず、アニメオリジナルの描写は、南浦さんや個人戦の成績の扱いを鑑みて、原作正史と共存するものとして話を進めます(『咲日和』についてはりつべ本人から実際にあった出来事だとお墨付きがあったけど、アニメはどうだったかな)。上記描写についても、設定が変更されたのではなく、宮永一家の家族麻雀はお年玉を賭けるのと同時にお菓子を与えていたと考えます。
照がお菓子を好きになったのは、家族麻雀のごほうびだったからでは(囚人がアルフォートとコーラを好きになるがごとく)? お菓子の味が家族……咲と麻雀を打った記憶と結びついているからでは? というのが私の予想です。つまり、照のお菓子好きっぷりは、彼女がいかに咲さん大好きかを表すバロメーターだったんだよ!
この説が苦しいところは、照が最新話で「たまにつらいことを思い出すから」と語っているように、照の中で家族麻雀がどんな位置づけだったのか判然としないとですかね。何にせよ、直近で宮永家の母=宮永愛=アイ・アークタンダーという超重要設定が開示されたこともあり、この家族麻雀周りの設定がどうなるのか目が話せません。
というわけで、照がお菓子に目がなくなったのは家族麻雀の影響説、予想が的中していたら褒めたってください。
- 関連記事